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「何しに来てん…」

ドアが開くなり開口一番に飛び出した言葉に、少しだけ不服そうに眉をしかめつつも…

「用事があるから来たにきまってるやろ。」

有無を言わせぬ言葉で返してみせると、
「どうぞ」と言われない内から当たり前の様に上がりこむ。

その姿に呆気にとられながらも、でも、追い返す気はさらさらなくて。
思わぬ来客に、ひそかに戸惑いと喜びを感じつつ、
彼の後を追って入り込んでくる夜風を遮断するように、そのドアは静かに閉じられた。







  

 

 

 

―優しさを胸に抱いて―













大きなバッグを肩から下げて、廊下を突き進む剛の後を、小首を傾げながら着いていく光一。
向かった先は何故かキッチン。
シンク横の広い台に持っていたバッグを置くと、中からいくつものタッパを取り出すのを見て。

「なぁなぁ、剛…」
「ん?」
「何してんの?」
「今日、カレー作ってん」
「うん」
「一回作る度に、何日か分かもつくらいの量を作ってまうねんけどさ」
「お前、カレー好きやもんなぁ」

すると、話しながらも動いていた手がピタリと止まって、
不意に光一へと振り向いてその目を覗き込み。


「光一、メシ食ったか?」
「…え?」
「お前の事やから、まだ食っとらんやろ。」
「ん~…中途半端な時間に食ってもうたから、もういいかなって-」


-嘘をついても、俺には通じんぞ-と、暗に語る目を見たら、
流石に食べたとは嘘をつけなくて、
光一は、少し視線を逸らしながらも素直に応えると、

「そんな事やろうとおもた」

-と、小さなため息をついて、剛はまた手を動かし始めた。

「………」

何だか微妙に会話が噛み合っていない事に気付いた光一は、めげずに再度、
その後ろ姿に問いかけてみる。


「なぁなぁ、剛って!」
「だからなんや」
「だからなんやちゃうっ!さっきから何しとんねんって聞いとんねん!!」
「えぇから光一さんは、向こうに行ってやらなあかんことさっさとやっとき。
 すぐに用意して持っていくから」

そう言って、軽く背中を押されてキッチンを追い出されたので、
光一は仕方なくリビングに移動した。


そもそも、どうしてこんな状況に至ったのか…

実は、光一が家へと持ち帰った仕事をしていると、突然、剛から連絡が入ったのだ。


- 今、家におる? -
- あ、うん。ちょ~やらなあかんことあって -
- そっか。 -
- なんや?どうした? -
- ……あのさ… -
- ん?-
- 邪魔せんから、ちょっとだけ、そっち行ってええか?-
- …え?-
- 30分程したら行くから待っててや。-

そういって、ろくに返事も聞かぬ間に電話を切った剛の、
しかし、何となくその声が沈んでいたような気がした光一は、
結局、詳しい理由がわからないままに、剛を出迎える事にしたのだが…

「なんか、相談したい事でもあるんやろか…」

何となく様子のおかしい剛を気にしつつも、とりあえず目の前の仕事に集中する事にした。


程なくして、食欲のそそる匂いをさせた剛の特製カレーと
サラダとスープがテーブルの上に並んだ。
ちょっとしたランチのような華やかさだ。

そして最後に、二人分の飲み物を持って光一の前のソファーに腰を下ろした剛は、

「ちょうどええ感じで腹減ってきたんちゃうか?…よかったら、食べてや」

そう言って、ここに来て初めての笑顔を見せた。


「…じゃあ、いただきます…」
「どうぞ」

剛に見守られながら、一口目を口に運ぶ。

「・・・美味い。」
「そっか、よかった。」
「-けど、相変わらず具だくさんやな(笑)」
「見目は悪いけど、栄養価はたっぷりやぞ」
「ふふふ(笑)」


黙々と、カレーを口にする光一をしばし眺めていた剛は、
ふと、「光一」と呟いた。

「なんや?」
「毎日ちゃんとメシ食えや」
「突然なんやねん。」
「お前はそれでなくても、食に興味なかったりするのに、仕事が忙しくなったら、
余計に生活を不規則になって、今日みたいに食べんと終わらす日も増えるやろ。」
「………」
「太れとは言わんけど、それ以上痩せんなや」



剛はそう言うと腰を上げ、テーブルに上半身をのりだすと
ゆっくりと右手を光一の方へと延ばし、そっとその頬に触れる。

「ほら・・・頬もこけとるやないか。」

どこか切なげに目を細めてそう呟く剛の、
しかし、心配そうな表情とその手から伝わる想いに、光一は気まずそうに目を伏せた。


剛の言うような「食に興味がない」で、片づけてしまうのは少し違っていたりする。
食べる事は決して嫌いではない。
美味しいものが目の前に並べられれば喜んで食べるし、好物も結構ある。
ただ、毎日毎日、自分で食事の用意をしてまで食べたいか!?―となると、
それよりもやりたいことがあったりすれば、そちらに時間を割いてしまうだけで、
正直いって、今日のように誰かがご飯を作って用意してくれるなら、
「ありがたく食べんねんけどな・・・」というのが光一の本音である。
それでも、食べなければ体力は付かないし、不規則な生活が続くと、顔にも表れる。

剛を心配させるくらいに、痩せてしまったのかと無自覚な性格ゆえ
言われるまで全く気がつかなかったが、
ただ、それだけで剛がここにきたのもなんだか違うような気がして。

目の前で、ソファーに座りなおし飲み物を口にした剛をじっと観察しながら
今度は光一の方から「つよし」と呼び掛けた。


「なぁ、それだけやないやろ?」
「ん?何が?」
「ここに来た理由。カレー作りすぎたから俺の為に持ってきたってだけでもなさそうやな。」

すると、素直すぎるほどに顔色が変って視線を外す剛。

「なんかあったんか?」

ーとは聞いてみても、すぐには答えない剛に、少しだけ溜息をつくと、
光一は、綺麗に食べ終えた皿をキッチンへ持っていき、そのまま自分の位置には帰らずに、
あえて剛の横へと腰をおろした。
そんな光一をチラリと伺った剛は、何かを避けるかのように、

「ちゃんと食べたん見届けたし、これ以上お前の仕事の邪魔してもあかんからもう帰るわ」

早口でそう言って席を立とうとした時、

「まだええって!」

いつにない、真剣で強引な口調で言い放った光一に、剛は眼を見開く。
そして、「話してみ」と催促するように語る光一の瞳をみて、剛はフゥと息を吐き
もう一度彼の隣に座り直すと、俯きがちにぽつりぽつりと話しだした。


「今日な・・・」
「ん?」
「ここに来る前、カレーいっぱい作ったし、オカンに一緒に食べるか?って誘ってん。」
「うん」
「―で、久々一緒にメシ食ってた時に、なんとなく昔の話になって。
 そんで思い出したように、近所に住んでたおばちゃんの話になってんやんか。」
「近所のおばちゃん?」
「うん。ごっつ気さくなおばちゃんで、いつも俺の姿みたら、お帰りって声かけてくれてな。
 ほんで、よう『作りすぎたから~』とか『あまりもんやけど~』とかゆっては、
 手料理をタッパに詰めて持ってきてくれた人やってんけど。」
「あぁ~いるなぁ~そういう世話好きなおばちゃんって」
「うん。…うちのお母さんと結構気があってたみたいで、仲ようしてたからやろうけど、
 今おもたら、ほんまマメにいろんなもん持ってきてくれたなぁ~って・・・」
「ふ~ん。その話を思い出して親子で話してたんか?」
「いや、そのおばちゃんが、風の噂で亡くならはったらしいってオカンから聞いて―」


そこで言葉を詰まらせた剛を見つめながら光一はやっと、
さっきからずっと気になっていた、どことなく普段と様子の違う剛の理由に行きついた。


年老いていく母の姿を見るたびに、
よき先輩で、息子のように可愛がってくれていた人たちの訃報を聞くたびに、
剛は、避けることのできない人の生死について考えることが日々増していき、
時おり心配になるほどに、深く落ち込んでいる時もある。

その「近所のおばちゃん」という人と剛がどれほどの繋がりがあるのかは知れないが、
きっと、光一が思っている以上にたくさんの思い出が彼の中にはあるのだろう・・・

ほんとなら、気の利いた言葉で慰めるなりできたらいうことはないのだが、
そういう事がほんとに苦手な光一はそれでも、
悲しみに沈む心を少しでも包んでやりたくて・・・
そう思った時には自然とその手が伸びて、逆に剛を驚かした。


「ちょっ!ちょっと光一さんっ!」
「・・・なんや。」
「なんや。って…」
「なんも言わんでもええ。今だけ俺の広い胸借したるから、泣きたいなら泣いてええぞ。」
「…いやいや、なんで?」


突然の事に剛が戸惑ってしまったのは、実は光一が両手を広げたかと思うと、
あっという間に、剛の頭を抱きこんで自分の胸へと包みこんでしまったからだった。
あまりの突然さに、剛は一瞬何が起こったのか全くわからなかったが、
トクントクンと、耳の傍で脈打つ心臓の音が聞こえてやっと、その状況が飲み込めた。

泣きたいのに泣けない剛を思って、光一がとった行動ではあったが、
ほんとのところは少し違ってて。
自分を見上げながらキョトンとした顔を見せた彼に、
勝手な勘違いをしていたことに気づいた光一は、
少し拍子抜けしつつ、とりあえずその手を緩めた。

「あれ? なんか思ってた展開とちゃう?」
「う~ん。。。光一さんの胸を借りて泣くほどの事でもない…かな」
「えぇ? うそ~? やって仲のええおばちゃんやってんやろ?」
「・・・オカンがな。
 俺にとっては口うるさいおばちゃんやったなぁ~とか、
 いっつも届けてくれるおかずが、煮物とかおひたしとか、
 そんなんばっかやったなという記憶しかないな・・・」
「あらら…なんか切ない想い出やね。年重ねたら、そういう料理も美味いと思うねんけどな。」
「んふふ(笑) そやねん。大人は喜んで食べてたけど、俺にしてみたら、
 たまにはからあげとかハンバークとか子供の喜ぶもん持ってきてやぁ…って
 夕飯に並んだおかず見て、ひっそりツッコんでたこともあったような。」
「うひゃひゃ、ひどいなぁ~…あ、笑いごとちゃうけど・・・」
「ほんまやな(笑)」

こうやって話すことで改めて思い出す懐かしい記憶。
小学生だった剛は、その時はまだ好き嫌いが多く、
野菜の類ばかりメインで作られた彼女の手料理が、正直、嬉しくなかったりしたのだ。
そういう記憶でしか胸の中に刻んでいなかった剛は、でも今になって彼女の存在にふと、
ひっかかりを覚えた。
そういう交流の中で、確か“何か”を彼女から教えてもらったような・・・


「でもさ、今にして思ったら、こっちきてそういう近所付き合いってほんまないやん」
「ん~まぁな。俺らの仕事柄のせいもあるけどな」
「なんややっぱさ、都会ってそういう地域というか人との繋がりって薄い気がする。
 俺も、今日たくさんカレー作ってもうたけど、じゃ~お隣さんにお裾分けって…ないもんな。
 せいぜい、お母さんか…お前くらいやし、思い浮かぶのは。」
「・・・」
「こういう職業柄、どっかで周りとの付き合いを自分から遮断してたりもするけど、
 でもふと、そんな昔を思い出したら、近所の人の顔はたいてい見知ってて、
 道歩いてても会う人誰とでも挨拶できて、
 なんかあったら親身になってくれる大人たちも周りにたくさんおって・・・
 親たちが作り上げてきた地域のあったかさが、なんか今、自分の周りに築けてないことが
 すごい悲しく感じてしまうときがあるわ。」
「そっか・・・」
「そう思ったら、今更やけどあのおばちゃんの手料理、もう一度食ってみたかったなぁ~って」
「うん。」
「きっと、子供の頃の自分と違って、心からめっちゃ美味しいって伝えられる気がするな。」


そんな風にしみじみと話す剛の言葉を聞きながら、光一はふと、
実は、子供の頃の彼女への言動に少なからず後悔してる剛がいることを、
なんとなくわかってしまった。

さっき、本人が自覚したように、
心こめて作った手料理を、そうそう誰彼と食べさそうとは、普通思いはしない。
剛自身も、その時思い浮かんだのは、母親と光一だけだといったように、
その人もまた、二人が思う以上の“想い”を込めて、届けていたんではないのだろうか。


「でもさぁ、きっとお前のことやからその人に会った時はちゃんとお礼は言ってたんやろ?」
「・・・まぁ、それは―な。」
「うん。」
「子供ながらにそこはちょっと気ぃ使って、“おばちゃん美味しかったで、ありがとう”って
 言ってたような気がするわ。」
「なんとなくやけど―・・・」
「うん?」
「俺は、その人の性格もなんも全然知らんけど、でも―
 きっとそのおばちゃんは、剛のことが可愛くて仕方なかったんかもな」
「・・・え?」
「自分の作った手料理を、美味しかったっていっつも伝えてくれる剛の気持ちが嬉しくて、
 また、作って届けてあげよう!って、それがその人の楽しみになってたかもしれへん。」
「・・・」
「“作りすぎた”わけでもなく、“あまった”わけでもなく、
 剛に喜んで貰う為に、一生懸命作って届けてくれてたかもしれへんで。
 今のお前やったら、その人の本当の想いがわかるんちゃうんか?」

剛の目を見て、ゆっくりと言い聞かすように語りかける光一の言葉に少なからず
衝撃を受けた剛は、不意に何かを感じて、
さっき気づいた引っ掛かり部分の本当の答えを探しだすかのように、そっと瞼を閉じた。




そこは、懐かしい我が家のある風景。
見慣れた街並み。
すれ違う、見覚えのある人たち。
そんな道の真ん中で立ち尽くす剛の後ろから甲高い声がして、慌てて振りえってみると。

「剛ちゃん、お帰り~」
「あ、ただいま・・・」
「おばちゃん、また後で蒸かしたさつまいも持っていったげるね!」
「うん、ありがとう。」
「あ、でも、手きたないなぁ~!帰ったらちゃんと先に手を洗うんやでっ!」
「は~い…」
「やる気のない返事やなぁ(笑) おばちゃんの息子と一緒やわ(笑)
 ほんま、あの子は大都会で一人でちゃんとやってんのやろか?なぁ?」
「・・・おばちゃんの子供なん?」
「そうやねん。頼りない一人息子やからほんま心配でたまらんわ…
 せめて剛ちゃんみたいに育ってくれたら、おばちゃんも安心できてんけどなぁ。」
「僕、そんなええ子ちゃうで?」
「ええ子やよ。ほんまにええ子や・・・
 だから、剛ちゃんはお母さんやこの先に現れる大事な人に心配かけさせたりしたらあかんよ。
 ほんで、思いやりの気持ちを忘れたらあかんで。
 何より、しっかりと勉強も頑張りやっ(笑)
 じゃあまた、後で行くからお母さんにも伝えといてね!」


いっつも、説教じみたような言葉をポンポンと投げかけるその人が、
子供ながらに正直苦手で―
でも。
最後にいつも笑って手を振ってくれる彼女の笑顔は、
大好きだった・・・



―つよし?・・・剛っ!―

光一のその声に、急激に現実に呼び戻された剛は、閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
そしてポツリと呟いた。

「あぁ、そうやったんか…」
「なんや?どうした?」

少しだけ心配そうに瞳を揺らして剛を見つめる光一に、
意味ありげにほほ笑むと、今度は自分からその手を伸ばし光一を引き寄せると、
剛はゆっくりと、その肩に頭を預けた。


「剛?」
「借してくれるんやろ? だから、少しだけ・・・」


ずっとずっと、心の奥底で眠っていた子供の頃の記憶。
それは色の付いていない白黒写真のようで、
カラー写真の隣で、ひっそりと並んでいるだけの存在だった記憶が、
でも、母と話すことで、何より、光一と話したことで、
その白黒の記憶は、思っても見ない美しい彩を浮き上がらせて、剛の中に蘇ったのだ。


母にその話を聞いた時に、自分は一番に何を想ったのか?

仲のよかったその人を失くして落ち込む母を慰めることか。
それとも、懐かしいその人を記憶を呼び戻すことか。

いや違う。

一番に浮かんだこと、それは―


 光一は、ちゃんと夕飯食べたやろか。
 会うたんびに、ふっくらするどころか、どんどんやつれていってるようにも見えるあいつ。
 まともに食事もとらんといてたら、いつか倒れるんちゃうやろか。
 ほんま、こまごまと世話やいたらな、いっつも自分のことは後回しにする奴やから…
 今、おるかな。
 電話かけたらでてくれるかな。
 ・・・かけてみよか。そんでこのカレー持って会いにいってみよか。
 無性に会いたくなってもうたのは、
 あいつの元気な姿をこの目でみてみたいから・・・なんかな。
 


そんな風に思い立っての突然の訪問に、でも来てよかったと剛は思う。
光一の確かな温もりを感じて、やっと想いを果たしたという実感。
そうやって剛自身は満足する中、光一はというと、やっぱりかける言葉がみつからず、
せめてもの気持ちを込めて、しっかりとその両手で包みこんでやる。
珍しくも自分に寄り添う剛を感じて、少しだけ頼りにされてるのかと思うとそれも嬉しくて。
心配ばっかりかけさせてる時の方が多いだろうと思う自分だからこそ、
こんな時くらい優しくできたら―と、その腕に力を込める。

そんな彼の腕の強さを感じてやっと、剛はハタと気付いたことがある。
光一を心配してやってきたはずの自分が、気がつけば光一に心配されてるということに・・・


 おばちゃん、ほんまやな。
 大事な人に心配かけさせたらあかんよな。

 ・・・オレな、大事な人できたよ。
 おばちゃんみたいに、何かと世話をやきたい奴がすぐ近くにおる。
 
 それこそ、息子さんのように、大都会にやってきて、
 やっぱりお母さんに心配かけさせてもうた事もたくさんあったけど、
 それでもオレはひとじゃないから、何とかやってこれた。
 そして、大人になって、守るものもいっぱいできたよ。
 
 だから。
 優しさをありがとう…
 あったかい愛をありがとうな、おばちゃん・・・





「ありがとう」

肩越しから声が伝わったかと思うと、剛は顔をあげ、優しく笑った。

「あ、もうええの?」

なんだか間の抜けた言葉を返した光一に、剛はもう一度笑って。

「もうええよ。さぁ、そろそろ帰るわ。邪魔せぇへんゆっときながら悪かったな。」
「・・・帰るんか?」
「やらなあかん仕事あるんやろ?」
「ん~まぁ~あることはあるけど…」
「じゃあちゃっちゃと仕上げてしまわな。って邪魔しに来た俺が言うのもなんやけど。」
「別にそんな急ぎの仕事ってわけでもないけどな・・・」
「んふふ。 来た時と態度が違うのはなんでですか(笑)」
「なにがや。」
「おってほしかったら、おって欲しいって素直に言ったらええのに」
「う、うっさいなぁ!わかったわかった!気ぃつけて帰れよっ。」
「そんな、さっさと帰れみたいな言い方って・・・」
「どっちやねんっ(笑)」
「すまんすまん(笑) ほんま帰るわ。俺、明日、朝早いし。」
「そっか。…じゃ~またな。」
「うん。」
「あっ!カレー!」
「カレー?」
「ほんま、美味しかった。ありがとうな。」
「どういたしまして。」
「また、いつでもおすそ分け待ってるし。」

何気なく言った光一のその言葉に、剛は驚いたように目を瞠る。

「え?あれ?あかんの?」
「・・・いやいや。」
「うん?」
「そっか、うん。」
「なに?」
「また、いっぱい作った時には届けさせてもらいますよ。」
「ほんま?」
「うん。」

決して、ウソではない心からの笑みを浮かべて喜ぶ光一をみて、
剛はまたひとつ、彼女の気持ちがわかったような気がした。




結局、玄関先で光一に見送ってもらいながら、剛は夜の道を歩き出す。

この多くの人の集う大都市に、自分の思う近所という繋がりを作ることは
今の自分に到底無理なようだが、
それでも自分には、それ以上の繋がりをもった失い難い存在が、すぐ近くにいるんだ。

もう一度、暗い夜空を見上げながら、彼女の言葉を思い出し、
その空に、あの笑顔を思い出す。

そして、光一が与えてくれたそのぬくもりをそっと抱きしめると、
今になって、その頬を一筋の涙が伝った。


それは、たくさんの想いが宿った
綺麗な綺麗な、しずくだった・・・








       

―finー
 

 




 

 

 

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